1.牛尾と犬飼

 日曜日の午後。部活も終わったというのに、野球グランドに犬飼は立っていた。
もちろん、辰羅川も一緒だ。ボールを一身に投げていた。

「犬飼くん、そろそろ上がりませんか?」
「…疲れたなら、帰っていい。俺は一人でもやる」

 その言葉に、辰羅川はため息を吐く。

「やれやれ…君の心配をしているのですよ…」

 ふと、辰羅川が視線を犬飼から外したので、つられてそちらの方向を見た。
するとそこには、牛尾がニコニコと笑いながらこちらへ歩いてきている。

「熱心だね、二人とも。でも、明日だって練習があるんだ。無理をしてはいけないよ」
「キャプテンには関係ありません」
「そうもいかないよ、犬飼くん。部員の健康管理も僕の仕事だからね」

 牛尾は犬飼に近づくと、グローブとボールを奪い取った。

「さあ、終わりにしよう」
 部室に二人を連れて行き、早々に着替えさせる。犬飼は渋々ながらも、
仕方なく着替えていた。

「それではキャプテン、失礼します」

 着替え終わり、荷物をまとめた二人は帰ろうとした。しかし、牛尾が犬飼を呼び止めた。

「ちょっと待って…犬飼くん、このあと何か予定はあるかい?」

 何のことかと思い、不思議そうな顔をしたが、特に予定はないと答えた。

「できたら少しつきあって欲しいんだけど…」
「…かまいませんよ」

 それを見て、何かを察した辰羅川は、一言いってその場を退散した。そのまま二人は、十二支高校からそんなに離れていないところにある喫茶店に入った。

「昼食がまだだろう?好きなものを頼んでいいよ」
「え…」

 好きなもの、といわれて少々戸惑ってしまった。それを見てた牛尾はサンドイッチと
コーヒーを二人分注文した。

「君もサンドイッチでかまわないかい?」
「かまいませんけど…いいんですか?」
「大丈夫だよ」

 ニコッと笑った牛尾に、犬飼はドキッとした。
自分にはそんな風に笑えないから…うらやましいとも思い、憧れになった。
 食事が終わり、喫茶店を出る。そしてそのまま二人で歩いた。

「牛尾キャプテン」

 犬飼は少し前を歩いていた牛尾を呼び止めた。振り返り「何だい?」と微笑みかけた。

「その……ありがとうございました…」

 少し驚いたが、照れくさそうに言った彼の頭を牛尾は優しくなでた。

「礼儀正しい子は好きだよ」
「…子供扱いしないで下さい」

 今度はふてくされながら言った犬飼を、そっと抱きしめた。もちろん、周囲に人が
いないのを確認した上で。犬飼は、突然のことに、驚きの色を隠せずにいた。

「そういうところも、大好きだよ」

 牛尾は犬飼から体を放して笑った。

「疲れているだろうから早く帰るんだよ。今日の疲れを明日に残してはいけないから」
「は、はい……」

 笑顔で犬飼を送り出す。帰り道での犬飼の頭の中には、牛尾の言葉がしばらく
残っていた。家に着くまでに、知り合いに会わなくて本当に良かったと思う。
きっと、自分の顔は真っ赤だっただろう。


2.子津と凪

 少し時は戻り、部活が終わった直後。猿野と子津と凪は、いつも通り一緒に帰っていた。
学校のそばの公園でしばらく雑談をしていると、猿野が何かを思い出したかのように『あっ』と呟いた。

「どうしたんすか?猿野くん」
「いや…部室に忘れ物をしたような、してないような……」

 いまいち確信を持てずに頭を抱えている猿野に、凪は言った。

「私たちここで待ってますから、部室を見てきてはいかがでしょう?ね、子津さん」
「あ、ええ、そうっすよ!ちゃんと待ってるっすから、見てきた方がいいっす」
「そうかぁ?悪ィな、子津。凪さんも……」

 そのまま猿野は走っていった。
残された子津と凪は、近くにある噴水の縁に腰を下ろした。

(こんなところで…)

 凪と二人きりになる。そんなことなど考えてもいなかった。子津は彼女に恋心を
抱いていたのだ。しかし、猿野が凪のことを好きだということを知っているため、
あまり表には出さないようにしていたのだ。
 緊張の所為か、しばらく沈黙が続いてしまった。

「…猿野さん、遅いですね」

 沈黙を破ったのは凪。それに子津は慌てながら「そ、そうっすね」と答えた。

(やっぱり、猿野くんのことが心配なんすね)

 凪には分からないように、そっとため息をついた。すると凪がぽつりといった。

「…何か、お話ししませんか?」
「えっ?!」

 驚いた顔で凪を見た。

「一度…子津さんとお話ししてみたかったんです」

 照れながら凪は言った。それを見て、子津は少し嬉しくなった。

「な、何の話をするっすか??」
「そうですね…例えば……」

 不器用な二人だけど、心は通い合うハズ。
きっと幸せになれると信じていたい……


3.猿野と羊谷と猪里

 一方そのころ、猿野は一人部室に向かって走っていた。
「なんか変な感じがすんだよなー」

 ようやく部室に到着する。ドアを開けてやっと忘れ物を思い出した。
 猿野の忘れ物はバッグだった、野球部の道具を入れるバッグではなく、普段の学校に
持っていっているものだ。昨日持って帰るのが面倒だったため、今日持って帰ろうと
思っていたのだった。

「そうだそうだ、俺としたことが……」

 すると、部室のドアが開き、誰かが入ってきた。猿野が振り向くと、そこには羊谷が
立っていた。

「なぁにやってんだ?」

 煙草をふかしながら猿野に近づく。

「鞄を取りに来たんだよ」
「ほお、そうか。その鞄ってのはこいつのことか?」

 そういいながら左手に持っていた鞄を猿野に見せた。確かにそれは猿野のものだった。

「俺の!!」
「返して欲しいか?」
「あたりまえだろっ」
「じゃ、その代わり……」

 羊谷は猿野に鞄を投げつける。そしてそのすぐ後に猿野を床に押し倒した。

「なっ!?」
「まあ、まかせろって」

 にやりと笑った羊谷の顔から、この後何をされるか予想がついてしまった猿野は必死にもがくが、動くことができなかった。
 すると入り口のところから独特の訛りのある声が聞こえてきた。

「……何やっとるとね」
「お、猪里か」
「監督…猿野をからかってどーするばい」
「からかってる訳じゃないさ」

 気がつけば、当の猿野抜きで二人はあーだこーだ言い合っていた。

「…悪いけど、猿野は俺のもんばい」

 猪里は猿野の腕をつかみ、体を引き寄せると、頬に軽くキスをした。

「―――!!」
「おもしろいじゃねえか…」
「監督はおとなしく猿野から手を引くとね」

 二人が言い争っている間に、少し放心状態になりかけの猿野は部室から逃げ出して
いった。


4.沢松と兎丸

「だー!一足遅かった!!」

 練習が終わった後のグラウンドを見て、沢松は絶叫していた。

「どーしたの、兄ちゃん」
「どうしたもこうしたも、野球部の練習終わってんじゃ……って」

 話しかけてきた兎丸に気づいた沢松は、兎丸を見た。

「今日の練習は午前中だけだったんだよ?お猿の兄ちゃんに聞かなかったの」
「…っくそー!!あのやろー!!」

 走り出しそうになった沢松に兎丸はぽつりと言った。

「ちなみに兄ちゃんは、ナギちゃんと子津くんと帰っちゃったよ」
「後でタコ殴りだな…」

 そういいながら手帳を取り出し、何かメモを走らせた。

「何書いてんの」
「あ?あの猿のページに書き加えてんだ。親友思いではないって」
「その手帳、見せて!!」

 沢松はそれを兎丸に見せた。その手帳には野球部全メンバーの名前やポジションなどがみっちりと書かれていた。

「すっごい!!すごいんだね、兄ちゃんって」
「だろ?……って、くっつくな!!」

 気がつくと、兎丸は沢松に抱きついていた。

「えー?いいじゃん。僕、兄ちゃんのこと好きだよー」
「俺が良くない!!」

 思い切り突き放すと、兎丸は瞳を潤ませながら言った。

「…ひどい…抱きつくぐらい、いいじゃん……」

 沢松はそんな兎丸の顔を見て、一瞬ドキッとした。

(ば、ばか!あいつは男だぞ……!俺、よく考えろ……)

 苦悩している沢松を見て、兎丸の目がキラーンと光った。そして次の瞬間、再び兎丸は沢松に抱きついた。

「兄ちゃん、隙ありだよ!」
「うがー!!ちょっとでも油断した俺が馬鹿だった!!」

 数日後、このやりとりを目撃した梅星にすっぱ抜かれて脅迫されたのは言うまでもないだろう……


5.蛇神と辰羅川

 犬飼と別れ、一人で帰った辰羅川は………なぜか蛇神と一緒にいた。
帰り道に何となく出会い、たまたま方向が同じだったというだけだった。

「蛇神先輩、少し質問してもかまいませんか」
「なんだ」

 いつもの細い目を、更に細めて答えた。

「その…いつも修行をしているんですか」

 辰羅川の問いに、淡々と答える。

「否。我は“修行”の域に届かぬ。いまだ鍛錬…いや、我は訓練しかしていない」

 あの監督のノックが止まって見える、というのに、自分のやっていることは訓練であるといっている。辰羅川は少し恐怖を覚えた。と同時に、強い憧れも持ち始めていた。

「せ、先輩……」
「今度は、なんだ」

 ゆっくりと、確認しながら辰羅川はいう。

「…あなたに、憧れています」
「我に憧れてもいいことなどないぞ」

 そう言い残して、蛇神はスタスタと歩いていってしまった。辰羅川はしばらくその場に立ち続け、蛇神の姿を見送っていた。
 彼はまだ気づいていなかった。
 その憧れの心が、淡い恋心であることを。
 いや、一生気づかないかもしれない。
 きっとそれくらいの距離が彼らにとって一番良いのだろうから。


6.虎鉄と司馬

「なんか、騒がしいNa」

 時刻はすでに昼の三時になっていた。虎鉄が学校の近くの公園の横を通りかかったとき、なにやら人だかりが出来ており、彼も野次馬するために近寄った。
 なかなか人だかりの真ん中に行けそうもないので、そこにいた人に何があったのか
聞いてみた。

「そこのベンチに、グラサンかけた子が全く動かないらしいのよ。生きてるか死んでるかもわからないし……」
「グラサン…?」

 嫌な予感がして、無理矢理人だかりを割って真ん中へと来た。

「…こいつは何やってんDa?」

 予感は的中した。野次馬たちの中心にいたのは司馬だった。公園のベンチに座ったまま、微動だにしていない。このため、彼の周りに人だかりが出来てしまったのだろう。

「しかたねーNa」

 虎鉄は近づいて、肩に手をかけて体を揺さぶった。ようやく司馬が動きはじめ、
顔を上げた。イヤホンも片耳はずした。

「…寝てただRo」
「……」

 司馬はちょっと照れながら頷いた。はずしたイヤホンからは、大音量で曲が流れていた。どうやらこれの所為で、周りの声が聞こえていなかったらしい。

「珍しく兎丸と一緒にいないと思ったらこれDa」

 ハァ、とため息をつき、周りの野次馬を追い払った。

「さ、立つんDa…帰るZe」

 歩きながら虎鉄は、世話の焼ける後輩だな、と思った。
そして、おもしろい奴だとも思った。
 どうして自分が思いを寄せる奴は、必ず独特の個性を持っているんだろうか、
と自問をしていた。

「ま、絶対に誰にもいわNe」
「?」

 何のことだか分かっていない司馬の肩を思い切り二回叩いた。

「何でもねーYo」

(一生、オレがこいつを好きだなんて、誰にもいわねーからNa)




こうして、十二支高校の野球部員たちの一日は過ぎていった……


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